小鳥遊 遊鳥の裏通り

La Vérité sortant du puits.

渋谷のようなもの

日沈む国を訪れて…

 書棚を整理していたら、30年前の古いパスポートが出てきた。仕事で思いがけずベルリンとブリュッセルに行く用事ができ、当時住んでいた千葉県に申請手続きを行い、発行したことをやにわに思い出した。ちょうど、冷戦の終結でシベリア上空の飛行が可能となり、南回りはもちろん、アンカレッジ経由と比べても欧州が、またぐんと近くなった直後だった。

この時の業務渡航の経験に味を占め、さほど間を置かず、今度はプライベートで訪れた最初の欧州が、“日沈む国”と一部で揶揄されていたポルトガルだった(言うまでもなく今日では、自称・日出る国の方が日沈む国になりつつある)。円は強かったが、ドイツマルクと比べればやや劣勢。フランスフランも結構頑張っていた。必然、イタリアリラやスペインペセタ、そしてポルトガルエスクードといった弱小通貨が使える南欧諸国を対象とするなか、「裏通り」に相応しく、ユーラシア大陸から大国スペインに押され、零れ落ちそうになっている老共和国を選んだ。

 成田から、マドリッドでの空港“ベンチ泊”を挟み、およそ28時間かけて到着した首都リスボンの最初の印象は、「何とも埃っぽい街だな」というものであった。関東南部の赤土に慣れた目にとって、イベリア半島の果ての土は実態以上に白く映るということに気付くのに、そう時間はかからなかった。飛び込みで見付けたロッシオ駅裏の格安ペンションの、ややかび臭いベッドに荷物とともに身体を放り投げ、染みが目立つ天井を見上げた時、ニッポンのしがらみからようやく自由になれた思いがした。

 その後ポルトガルへは、2~3年おきに出かけるまでに気に入り、「日本ポルトガル協会」の会員名簿の末席に名前を載せたこともあった。しかし残念なことに、2005年を最後に足が遠のいてしまっている。再訪への意志は固いのだが、日本からの直行便がないこともあり、限りある休暇のなかで訪れるにはやはり、遠い。リスボンの街のざわめきや匂いの記憶も、さすがに薄れつつある昨今である。

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因みに、リスボンという街の魅力は「坂」に尽きる、と考えている。旧市街地で、平らなエリアはテージョ川に面したコメルシオ広場とその周囲のみ。その一角を外れると、どこに向かおうとしてもたちまち心臓破りの坂道あるいは階段が現れる。それらを前にして、ため息を付く人はリスボンのまだ素人である。2~3日を過ごし、それらが苦にならなくなってきたら、ようやく“リスボン道”の初級に入門したことになる。クレジットカードのCMに登場したことで、リスボンのアイコンになった黄色いケーブルカーを侮蔑するようになったら中級。坂道と階段の2コースがあった場合に、迷うもなく後者を選ぶ身となれば上級クラス入りだ。そして、地元の人と猫しか通らないような胸突き八丁の路地を、渇望を帯びて探し求めるようになった時、あなたは晴れて“リスボン病”に認定される。

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 “リスボン病”の厄介なところは、時と場所を選ばす発症することにある。例えば渋谷。地下5階に位置する東京メトロの渋谷駅から、エスカレーターなどという人を堕落させるマシーンを使わず、ハチ公前、センター街、井の頭通り、スペイン坂、公園通りを抜け、改装なった渋谷区役所新庁舎の地上15階「スペース428」まで嬉々として行けてしまう。遺憾ながら、治療薬はない。

いずれにせよ、リスボンには不思議な魔力がある、ことは古今東西変わらないようだ。下の本も、久々に、良い読書体験を得ることができた。終わり。