小鳥遊 遊鳥の裏通り

La Vérité sortant du puits.

Heysei! JUMPのようなもの

勝手にゲシュタルト崩壊しない!

 俄かに、若い世代の昭和ブームを語るのがブームらしい。64年に及ぶ当該時代の後半3分の1ほどを経験した身からすると、昭和の醍醐味は、軽工業国家のくせして国としての自我を病的に増長させた挙句、全世界を相手に始めた大戦争にこっぴどく負け、とりあえず土下座をして謝ることにした1945年8月を重心点とする前後15年くらいにあると思うのだが、いわゆるZ世代の関心は、各種報道によると、当然ながら、あまりそこにはないようだ。むしろ、平成不況の予兆とも言える80年代以降の低成長時代が定着し、モノが満ち足り、そのフレームの中からあふれて行き場を失った最後のエネルギーが作り出した文化・風俗・技術・デザイン・トレンドの方に、熱視線が送られている。当時の我々が、クールでポップで最先端なものと認識していた事象が、すべからく、“ぶさかわ”ならぬ“ふるかわ”(ちょっと古くてかわいい)なものへと変容し、刺さっているようである。

 

 しかし、そんな彼らが、昭和レトロだからといって、絶対に受け入れないであろうと確信するものが2つある。「痰壺」と「畳敷きの賃貸アパート」だ。前者については、平成17年に結核予防法施行細則が改正されるまで、政府が、結核菌の温床となる痰や唾を撒き散らかさないよう、駅など人の集まる場所に痰壺の設置を義務付けてきた関係で、記憶している昭和生まれ(但し、中期ロットまで)も多いことだろう。実際、平成の初期の頃になっても、山手線などのホームの柱のふもとには、上部に漏斗状の受け皿が付いたホーロー引きのご神体の壺(といっても旧統一教会のそれではない)が置かれており、電車を待つ間、おっさんが「カッー、ペッ」とやる場面を冬季を中心に、しばし目にすることができた。達人になると、普通に歩きながら漏斗の中央に空いたシュバルツシルト面に向けてストライクをはめることができる半面、ビギナーがイキってそれを真似たりすると、折からホームに侵入してきた電車の風圧により、口から勢いよく放出された薄黄緑色の半ゲル状の物体がUターンし、図らずも、自身のズボンの裾に着弾するという香しい場面にも遭遇できた。もし、痰飛ばしの世界大会があったのなら、上位に食い込むこと間違いなしと思われる逸材に、筆者も学生の頃、日暮里駅でしばし出合ったことがある。だが残念哉、上記の法改正により瞬く間に世の中から痰壺は姿を消し、痰飛ばしのスプリンターたちもその実力が称えられることなく、静かに、プラットフォームという晴れ舞台を去っていった(ここで、中島みゆきの「地上の星」が流れ出す)

 

地上の星

地上の星

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 痰壺(←しつこい。食事中の読者には申し訳ない)の消滅を遺憾と称するならば、畳敷きのアバートの激減はジェノサイドと例えても過言ではないだろう。昭和の最末期に至るまで、独り暮らし用の賃貸物件と言えば畳敷きの仕様が当たり前であった。筆者も実家を出て、初めて暮らした都内某所のアパートは、「サンロイヤル●●山」というヤマザキパンの食パンのような枕詞が冠された物件であったが(あっ、今年も点数券を集めて「白いお皿」をもらわないと)、こちらも残念哉、言葉(=シニフィアン)の指し示す意味を最大限に好意的に解釈しても、「サン」にも「ロイヤル」にも似つかない(=シニフィエ)北向きの木造2階建ての物件だった。身体をL字形には伸ばせないそれこそ壺のような風呂に、ガスが一口しかない台所、そしてお決まりの湿った畳が敷かれた6畳1間という構成で、それでも駅チカ物件とあって家賃は月7万5000円もした。せめてもの「抵抗」として、ベルギー産のカーペットを奮発して畳を隠してみたものの、程なく、酔って夜間に転がり込んできた悪友の寝ゲロに遭って泣く泣く、燃えないゴミとしての廃棄を強いられた。今度引っ越す時は、フローリングという名の板の間のマンションに移るぞと、心に固く誓うきっかけとなったことは、ここで改めて語るまでもないだろう。

 

 ところが、である。2年後に移り住んだ「アムール●●寿」という物件は、接道義務をギリギリでクリアした立地であったということが暗示するように、これまたamourという言葉が裸足で逃げて行きそうな有り様だった。念願が叶ってフローリングの間へとステップアップはできたものの、日陰に強いはずのアイビーすら枯れるという日照条件であったのだ。すると何が起きるのか? 聡明な読者にはお判りであろう。tinea pedisの発症である。白癬菌の奴らにとって、日差しの乏しい板の間は格好の寒天培地となった。そこを素足で歩くという行為は、丸腰のままウクライナ戦線を目指すロシアの愚かな志願兵のようなものである。待ち受けるのは圧倒的な後悔の念に他ならない。ちなみに「アムール●●寿」の102号室でお近づきになったtrichophyton fungusは、今もなお、筆者の下肢の末端部分に営巣地を築いている。畳表に使われるイ草には、白癬菌などに対する抗菌機能があると知ったのは、それからしばらく経った頃。「フローリングの増加で、実は水虫薬が伸びているんですよ」と、にやりと笑った某製薬会社の広報氏の口からだった。

 

 してみると、昭和から平成へ、我々は結核菌には辛勝したものの、白癬菌には惨敗し、さらに付け加えれば、令和の世には菌より下等な新型コロナウイルス徳俵寸前にまで追い込まれたということになる…………。あれ、“ふるかわ”を格調高く語るはずだったのに、今や、何を書こうとしているのか分らなくなってきたぞ…。これでは作画崩壊ならぬ作文崩壊ではないか。予期せぬゲシュタルト崩壊に直面してしまったようだ(今度は、加古隆の「パリは燃えているか」が流れ出す)。うーむ。

 

 

 言い訳じみたことを述べると、実は昔から、春先は、メンタルもフィジカルも集中力も不思議と弱くなる傾向がある。しかも今年は眼球の劣化も加わって、なかなか厳しいものを感じている。あるいは男の更年期障害か? はたまた、新規認知症治療薬「レケンビ」の投与がいよいよ必要になってきたのかも知れない。いずれにせよ、結論に向け、書き連ねることがしんどくなってしまった。痰壺と水虫についてはもっと深掘りしたい気持ちがあるのだが、そろそろこの駄文を打ち切る潮時が来たようだ。

 

 オレタチの昭和がホビーとして消費されていく時代。しかもこのところ、昭和を代表したいろんな人たちが相次いでこの世を去っていく。昨春とは質的に違う寂寥を前にして、「咳をしても 一人」(尾崎放哉)、あるいは「からす泣いて 私もひとり」(種田山頭火)か。

 

                                  (おわり)