小鳥遊 遊鳥の裏通り

La Vérité sortant du puits.

とんがりコーンのようなもの

観光公害の地はわが魂に及び

(備忘録として)

 先日、「コロナ禍」を挟んで4年ぶりの海外旅行に出かけた。歴史的な円安もさることながら、露西亜の普京が隣国に対して始めた侵略戦争によって原油価格が高騰。これにつられて航空燃料であるケロシンの価格も上昇したことから、航空各社が強気の燃油サーチャージを設定していることも、海外旅行を手軽なレジャーのカテゴリーから遠ざけている。今回はたまたま、燃油サーチャージを取らないスカンジナビア航空が、休暇を予定していた3週間前に羽田~コペンハーゲン間の特典航空券を解放したのに出くわし、大急ぎで航空券を押さえたということが、慌ただしい旅立ちへの動機となった。形而下の話を続けることを許してもらえれば、同じくサーチャージフリーを続けるシンガポール航空のパリ~シンガポール間の特典航空券も押さえられたので、結果として、かなり安価に欧州を往復することができた。

 

 文字通りの本末転倒であるが、それでは、コペンハーゲンin、パリoutという条件のもと、どこへ行こうかというのが課題になった。まず、武漢肺炎を引き起こした中国人と日本人の見極めに慣れていない欧州の田舎町は、排斥リスクが高いと判断して、最初から除外した。アジア人も多数訪れる国際観光都市の中で、まだ訪れたことがない街をというフィルターをかけて最後まで残ったのがプラハバルセロナであったが、最終的には、より温暖な気候だという点が背中を押す形となって、後者に落ち着いた。

 

 周知の通りバルセロナは、市の人口の20倍に及ぶ年間3200万人のツーリストが世界中から訪れるスペインきっての人気観光地である。隣国のソウルからは直行便も飛んでおり、韓国人にも人気だという点も、歪んだ黄禍論信者からある程度フリーになれるのではと想定した(蛇足ながら、メッシという有名なサッカー選手が、つい数年前までバルセロナのプロサッカークラブにおり、彼を目当てに多くのサッカーファンがバルセロナを訪れたという話は、ホテルのフロントマンより、こちらの無知を半ば呆れかえられながら、伺った)。

 

 さて、そのバルセロナである。アントニ・ガウディのユニークな建築群以外にも、パブロ・ピカソジョアン・ミロサルバドール・ダリパブロ・カザルスといった“濃い”芸術家らを多数輩出した地だけあって、一癖も二癖もあるスポットが市内に点在している。その上に、コロナ禍前のバルセロナは、ミラノと並んで観光客をターゲットにしたスリ等軽犯罪のメッカとしてその名を轟かせていたこともあり、ガイドブックやテレビの旅番組を見ているだけでは決して体験できない、いい意味でも悪い意味でもストレスを常に感じ、結果として体力をいたく消耗した。加えて日差しもきつかった。当初は「時間の許す限り、何でも見てやろう」と気負っていたのも振り返ればお笑い草で、到着後、半日もしないうちに挫折した。その後はこの魅惑的な街を離れるまでの数日間、這う這うの体で観光スポットより宿に戻っては、ベッドに身体を放り投げ、体力の回復を待ってから、再び次のスポットへと外出するという行為を繰り返した。要は、4年間のブランクと、この間にカレンダーが無慈悲に刻んだフィジカルの経年劣化が隠せなかったのである。

 

もちろん、だからといって得るものがなかったわけではない。特に、バルセロナのシンボルとなっている「サグラダ・ファミリア」は、約1万円もの入場料(という名のお布施)を払ってでも、そして、途切れることなく訪れる観光客の喧騒に閉口しようとも、自らの肉眼で見て「良かった」と思える体験であった。皆が評価する有機物を想起させる独特の造形センスもさることながら、個人的には、光と陰の間に無数に存在している陰影の使い方と優しさに脱帽した(←偉そうに!)。

 

光が躍っていた

かつては街はずれであったらしい

 と同時にこの時、何の予告も前触れもなく、田村隆一の古い詩が脳裏に浮かび上がってきた。それは「言葉のない世界」より、

 

言葉のない世界

 

言葉のない世界は真昼の球体だ
おれは垂直的人間

言葉のない世界は正午の詩の世界だ
おれは水平的人間にとどまることはできない

言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人聞にとどまるわけにはいかない

 

 しかしなぜ唐突に? その疑問は帰国後、YouTubeの海をMetaの“おすすめ”に任せて漂っているうちに、答えらしきものを見出して氷解した。それは今から40年程前に放映された「サントリーローヤル」のTVCMだった。日本がバブル経済の高みに向って無邪気に上昇を続けていた1983年、アルチュール・ランボーをテーマとしたシュールな映像がお茶の間に流されたのを記憶している昭和生まれも多いに違いない。翌84年には第2弾として、アントニ・ガウディバージョンが放映された。このふたつの記憶が脳内の同一ファイルに間違って書き込みされていたたために、サグラダ・ファミリア=前衛詩人という、間違ったアウトプットを引き起こしたようなのである。いずれにせよ、情けない話である。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 それにしても、実に奇怪なCMだ。少なくとも前者は、反逆から信仰までのすべてを煮詰めて内包させた天才詩人の世界観とは似ても似つかない映像並びに演出だと思えるのだが、当時の電通には忖度しない尖ったクリエイターがおり、クライアントである大手洋酒メーカーの方も、今と違って懐が深かったのであろう。それに比べれば、84年のCMの方はまだ、不思議ながらも一般の視聴者にも刺さろうというものだ。

 

 恐らくはVHSで記録されているのであろう粒子の荒い、暗めの映像を繰り返し眺めていると、オーバーツーリズムなどという言葉がその欠片もなかった前世紀の良き時代が、当時の空気そのままに“フローズン”されており、恥ずかしながら、干からび切った心が少し震えたことを素直に告白したい。昭和は、しみじみと遠くなりにけり(同じく帰国後、友人から、「あのちゃん」がとある番組で、サグラダ・ファミリアのことを「とんがりコーン」のようなもの、と例えていたよと教えられた。爾来、サグラダ・ファミリアとんがりコーンと、記憶がさらに間違って上書きされそうな恐れを覚えていることも、併せて白状したい)。

 

確かに、とんがりコーンである

やおい