小鳥遊 遊鳥の裏通り

La Vérité sortant du puits.

ファイアファイターのようなもの

失楽園

 「オーマイガー!オーマイガー!オーマイガー!」と、徐々にオクターブが下がっていくアメリカ人エスタブリッシュメントのリアルな叫びを聞いたのは、この時が初めてだった。2001年9月11日水曜日。雲一つない秋空にそびえるニューヨークの「ワールドトレードセンタービル」に、あたかもケーキにナイフが刺さっていくように、人が乗っているはずの飛行機がすっと消えていく…。この、妙にリアリティー感を欠いた映像は、同時代を生きた地球市民にとっては、死ぬまで網膜に残り続けるシーンであるに違いない。

 あの日、日本は、というか関東地方は、未明から台風禍に見舞われた。朝のまさに通勤時間帯に鎌倉市付近に上陸した台風15号は、午前中、神奈川や東京に大雨をもたらした後、茨城県北部を通って福島県沖の太平洋に抜けた。この年の1月に発足したばかりの国土交通省記者クラブで、本物の経済記者になれない“トロッコ”であった小生は、台風15号が遺した交通機関や物流網への被害を翌日の朝刊向けに、『台風一過、首都圏に爪痕。物流網にも大きな乱れ』といった原稿へとしたため、その後、19時のNHKニュースで国土交通省に絡む「想定外」の話題や事件が放映されなかったことを確認して、21時頃帰宅した。

 遅い夕食後、気分転換に、買って間もないタミヤ製のプラモデル「1/48 グラマン F4F-4 ワイルドキャット」を組み立てようと、説明書をしげしげと読み込んでいた時だった。家内が「ねぇ、ちょっと」と声をかけてきた。≪えっ、プラモに集中しようとしていたところなのに…≫とすぐの返事を思案していると、前より強い口調で「ねぇ、ちょっと!」と言ってくる。そこに、いつもとは違う変調を感じたことから、彼女が見つめるテレビの画面(そういえばまだブラウン管であった!)に顔を向けてみると、「ワールドトレードセンタービル」の一棟から煙が噴き出し、まさに2機目がもう一棟の方に突っ込んでいく瞬間だった。そして1秒ほどの遅れをもって、冒頭に記した「オーマイガー!」の絶叫が耳に飛び込んできた。

 それからが、大変だった。只ならぬことが進行していることは理解できたものの、明日の新聞紙面を急ぎ、書き変えなければならないという仕事の必要性に思い至るまでには、正直なところ時間がかかった。程なく会社のデスクより掛かってきた電話でようやくそれに気付き、次いで、国土交通省の大臣官房広報課からの電話によって「そうだ、原稿の全面差し替えだ」となった。まさにトロッコたる証明である。とりあえず、「今、分かっていることを航空局がブリーフィングする」という記者クラブに押っ取り刀で向かうと、会見場は既にテレビカメラの砲列が敷かれており、普段は、冗談を飛ばし合う同業他社の記者連中も完全な臨戦モードに入っていた。

 当時は、いわゆる「インターネットバブル」の余韻がまだ残っていた頃で、日本と米国(特に西海岸)を結ぶ航空路は軒並み活況を呈していた。米政府の命令で、日本から米国に向かっていた全ての旅客機は可及的速やかに最寄りの空港に緊急着陸(ダイバード)することが求められた、というところまでは航空局の方から説明されたが、では何便が、何という空港にダイバードしたのか、日本人はどうなっているのかという詳細に至ると、運航の主体である航空会社の広報でも把握できないということだった。新聞の朝刊の締切り時間は最大限に伸ばしても午前1時半頃。そのタイムリミットが近づくにつれ、「分からない」を繰り返す当局に対し、一般紙社会部記者連中の口調が荒くなっていくのは、業界的には致し方のないことだったと、今更ながら思う(空気を読めよ、などと記者会見の席をなぁなぁで済ませ続けると、その黒い終着点は首相官邸記者クラブが見せる目下の惨状となる)。

 ともあれこちらは、「分かっていること」だけで原稿をでっちあげ、以降は、事態の推移をテレビの衛星放送などから拾うことに専念させてもらったが、繰り返し流される「ワールドトレードセンタービル」の崩壊映像が、あたかもプロの映像作家が作ったかのような「完璧さ」と「美しさ」すら帯びていたたため、その過程で、多くの人がその日を限りに、愛する家族や友人やペットらの元に永久に戻ることができなくなったというざらつく現実に思いが及ぶのは、翌木曜日朝、着替えのために自宅に戻り、玄関の扉を開ける時まで待たねばならなかった。そして、同時に沸き起こった「世界が剥き出しにする容赦なさから、これからは実は、誰しもが逃れられないのかな(ちょうど、非常階段で命を落とすことになった多くのファイアファイターたちのように)」という予感は、不幸にも、20年間の歳月の中で補強されこそすれ、否定されることはなかった。

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 99年の12月に仕事でNYを訪れた時に撮った銀塩フィルム写真を、今日、改めて眺めてみると、ありきたりの表現かも知れないが、「9.11」を境に米国だけでなく、世界は完全に「失楽園し、もう戻れないのだな」との思いを、改めて強くする。

 

追記:この夜、放り出すことになったタミヤ製のプラモデル「1/48 グラマン F4F-4 ワイルドキャット」は、20年経った今も完成していない。